ゆったりしてる暇はある

 

主に映画の感想だと思いますが、その他の事もダラダラ書いてます。

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言葉でなくとも訴えかけることができた俳優。 

火曜の夜中にネットニュースを何気なく見ていたら、「俳優のフィリップ.......腕に注射針が刺さったまま.....亡くなった」という文字が目に入り、まさかと思って読んでみたら.......ええ、このブログを読むような方はご存知だと思います。2月2日フィリップ・シーモア・ホフマンが急逝しました。

ショックでしたよ。そりゃ。まだ46歳だし、しかも薬物でなんて、考えられないと言うか。彼の印象からして似合わなすぎる死と言うか。だって、もはや世界レベルの名優にして、大作の一枚看板を背負う大スターなんかとは違って、安定してプレッシャーもない立ち位置にいる大物俳優だと思ってた。でも、きっとそういうのも、ただ外から見たイメージでしかなくて、本人には嫌なことも苦しいことも沢山あったんでしょう。人間ですもんね。

けど、正直なことを言えば薬物には逃げてほしくなかった。て言うか、逃げるもなにも薬物なんかダメ絶対!死んでから非難したってどうしようもないですけど、そこは残念でしかない。だって、もう新しい彼の芝居が見れないんですから。あなたは間違いなくアメリカを代表する偉大な役者の一人だったのに!


フィリップ・シーモア・ホフマンを初めてしっかり認識したのは『マグノリア』が最初。当時、中学生であった僕が映画好きになるきっかけ映画の一つでもあるので、映画自体に思い入れもたっぷりありますが、トム・クルーズからウィリアム・H・メイシーまで揃ってるあの面々の中で、やはりフィリップ・シーモア・ホフマンが一番光ってると思います。強烈に印象に残った場面は、やはり、ホフマン演じる看護師があまりにも苦しそうな末期癌患者に液体モルヒネを飲ませてあげる、その時の涙を流しながら悔しさと悲しさとを滲み出つつも、なんとか優しさでカバーをしようとしているあの表情。台詞よりも多くのことをあの表情が看護師の思いを雄弁に伝えている。でね、そのホフマンの表情に重なって名曲「Wise up」のイントロが流れみんなで大合唱へと移行する。ホフマンの表情力の直後であったからこそ、あの「Wise up」があんなにも観た人々の心を突き動かしたのだと思いましたね。


そこからは、ホフマン目当てに映画を観る日々。『ブギーナイツ』『パンチドランク・ラブ』『ザ・マスター』の安定したPTA監督作、メリル・ストリープとのバトルが怖い『ダウト』、裸オナニー姿が眩しすぎる『ハピネス』、唯一の声優作品『メアリー&マックス』(涙の洪水映画!)、『MI3』ではトムクルをボコボコに、開幕直後のファックシーンが強烈『その土曜日7時58分』、愛しのポール・ジアマッティと共演して涙もの『スーパーチューズデー』、生涯ベストの『ビッグリボウスキ』他にも『チャーリーウィルソンズ・ウォー』『フローレス』『脳内ニューヨーク』・・・・ああ、もう挙げきれない!ホフマンが出てる映画にはハズレなし!と言うか、彼が出るだけで6ランクは映画の格が上がる。そう言っても過言ではないでしょう。そして、どんな小さな小さな脇役でだって必ず大きな印象を残す。

でも、そんな数あるフィルモグラフィーの中で、最もスゴいとしか言いようがない、彼の芝居の真骨頂だと僕は考える作品があります。彼が俳優人生で初のアカデミー賞主演男優賞を受賞した『カポーティ』です。


ホフマンが演じるのはタイトルロールである、作家のトルーマン・カポーティ。言わずと知れた人ですね。『カポーティ』は彼が後のアメリカ文学史に残る代表作「冷血」を書き上げるまでを描いた伝記映画です。分かりやすく言っちゃえばメイキング・オブ・「冷血」


実在した人物をホフマンは演じているわけですから、技術的にはいわゆるメソッドアクティングってやつ。で、実際のカポーティの映像を見ると仕草からしゃべり方まで、ホフマンのそのなりきりぶりに、ただただ拍手。

けど、そんなただ技術的な「上手い芝居」を越えてしまう、とてつもない瞬間がこの映画にはあります。


物語終盤。それまでは、あくまでもジャーナリストとして小説を完成させるために犯人である死刑囚を利用していた、はずなのに、はずなのに.......小説を完成させたい、でも彼を助けたい、という狭間でもがき苦しんだカポーティが、最後に死刑を間近に控えた死刑囚と面会室で対峙する場面。ここはね、ここはですね、観ていない方のためにネタバレを避けたいのであえて書きません。ここで何が起こるかは、ぜひご自分の目で確かめてください。それまで、人に弱さを見せず冷静沈着だったカポーティが、ついに抑えきれずさらけ出してしまうもの。この芝居はね、もう芝居っていうか、これは映画史上に残るホフマンの一世一代の芝居です。凄まじい。しかも、この芝居がさらに一世一代感を強めているのは、ここでカポーティがしてしまうリアクションというのは、なんとホフマンが役になりきり過ぎたがあまり本当に我慢できず出してしまったアドリブなんです!つまり、作り込まれたメソッドアクティングの最高峰でもあると同時に、生々しいドキュメンタリックなシーンでもあり芝居でもあるという。フィリップ・シーモア・ホフマンという役者が他の「上手い」役者などとは一線も二線も画す天性の才能の持ち主であるということが凝縮された素晴らしすぎて恐ろしいとしか言いようがな名場面なのです。そして、この芝居も先述した『マグノリア』同様言葉でなく観客に伝える芝居だったのです。

その後に迎える展開や"あるアイテム"を使うことで、観客の解釈に委ねたラストも含め『カポーティ』という映画は間違いなくアメリカ映画史に残る傑作、っていうかもはや名作であると本気で思っています。監督のべネット・ミラーはホフマンも出ている次作の『マネーボール』でも素晴らしい監督ぶりを更に発揮(僕個人は『マネーボール』の方が断然好きなのですがー)べネット・ミラーの三作目でもホフマンとのタッグが観たかった......。


てね、かなり思い入れがあるのでちょっと長く書いてしまいました。それもこれも、だってホフマンの新作が今後一切観れないことが悲しいから。悲しいですよええ。

けど、いままで出てきた彼の映画は、いままでもこれからも存在しつづけるのです。もう、彼はこの世を去ったけれど、映画には永遠と残り、変わらぬ唯一無二の存在感を残す。過去の出演作を見返す度、ある意味、彼は何度でも甦る。彼の芝居はこれからもいつだってずっと観れる。僕だってさすがに全ての出演作を観てるわけじゃないです。だから、これからまだ観たことない彼の芝居を観れることが楽しみでもあります。『パシフィック・リム』ペントコスト司令官の言葉を借りれば「ドリフトすればいつでも会える」ってさ。


ということで、これからも映画という記録と人々の記憶に永遠と淡ーい輝きを放ち続けてください。今まで本当に本当に本当に本当に

フィリップ・シーモア・ホフマンありがとう。


philip seymour hoffman 1967-2014


では、また今度。
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Posted on 2014/02/07 Fri. 00:19 [edit]  /  TB: 0  /  CM: 7

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いい加減タイトルを変えたいな。 

なるべく、自分の文章なんて読みたくもないので、滅多にこのブログには訪れないyou伊東でございますけど、昨日、ふいに魔が差してしまいこのブログにうっかり足を踏み入れてしまったところ、まあ拙いバカ丸だし支離滅裂文章に辟易しましたよ。ええ。

けれど、なにがひどいってまずはブログのタイトルですよ!誰が付けたんだ!と怒鳴りたくなっても自分で付けたんだから、ほんとバカっ!

そもそもは「わくわく憂鬱飛行」次に「うきうき憂鬱旅行」これ僕の好きな言葉組み合わせたってだけで、深い意味はないんです。けど、いまやすっかり毎日が憂鬱の日々なので「憂鬱」って言葉が嫌いになりまして。そこで「憂鬱と一番ほど遠い言葉はなにか?」と考えた結果「ゲロゲロ」が残りまして。で、ゲロゲロとね。

その時は我ながら素晴らしい発想の転換力だと思ったけど、冷静になり改めて読んでみると「うきうきゲロゲロ旅行」という、このなんとも形容しがたい居心地の悪さ全開の言葉。適当に付けてしまっただけに、考えた本人としては余計にね。


だから、タイトルを変える!明日にはしれーっと変わっていると思います。しれーっとね。


では、また今度。
Posted on 2014/02/04 Tue. 23:08 [edit]  /  TB: 0  /  CM: 3

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『オンリーゴッド』/罪人に優しい歌を(ネタバレ) 



評判からある程度想像はついていましたけど、これは賛否がぱっくりと分かれるのもすごく納得。途中で帰った人もいましたし、エンドクレジットに突入してからの「ああ.......おお....うーむ...」な一体感は凄まじいものがありました。恐らく誘ったとおぼしき男の方が「こんなのに付き合わせちゃってごめんね」なんて謝ってるカップルもいた。あなたが謝ることないと思うよ!

僕もね、観ている間はかなりぽかーんでしたけど、正直今まで観てきたニコラス・ウィンディング・レフィン監督作でなぜだか一番ワクワクドキドキ五感を刺激させられ、最後は理屈をずば抜けて他の映画では味わったことないような感動に行き着かされてしまいました。

で、見終わって五日経つのですが、なぜ自分が『オンリーゴッド』にここまで感動したのかがあくまでも"ストーリー上の理屈の部分で"自分なりに咀嚼出来てきたような気がしなくもなくもないので、ストーリーの順を追ってちょっと書いてみます。なので当然ネタバレ全開です。



《たぶん『オンリーゴッド』ってこういうお話》


まずこの映画について語るには、ポスターには載っていないけどこの映画の実は真の主役である、この方から語らねばなりません。

元警官のチャン

別名:マスクを着けないジャッジドレッド

ライアン・ゴズリング演じるジュリアンの兄がまだ幼い売春婦をレイプし惨殺したことからこの物語は始まる訳ですが、そんなの超絶酷い事件じゃないですか。殺した変態野郎は死んで償うべきですから、チャンは殺された少女の父親に犯人を殺すことをけしかけます。

ここまでは良いですよね。ほんと「俺が法律だ!」を地でいく人と言うか。潔い。

しかし、ここからがスゴい。被害者でもある殺された少女の親父にチャンはこんなことを言うのです「元はと言えば、こんな幼い少女を売春宿で働かせてた貴様が悪い。死んだ娘の罪は償われた。次は貴様が生きている娘たちの為に罪をつぐなえぇぇぇぇええいっ!」


ジャッキーン!

と、どっからともなく取り出した刀であれよあれよと親父の腕を切断してしまいました。しかし、残された娘たちもいますから決して命は奪わない。マジでマジカル。


さらにマジカルなのは、彼は人に制裁を下したあとに必ずカラオケバーに行き永遠歌い続けます。部下たち全員無表情です。けれど、構わず永遠歌い続けます。きっと今日制裁した者たちに対する彼なりの鎮魂歌なのでしょう。そして、家に帰れば娘を溺愛し、家政婦には感謝の念を払い、普段は非常にもの静かで紳士的。

そんなところから分かるように、彼は単なる無差別殺人者でもキチガイでもなく、己の中に確固たる価値観(倫理観と言い換えてもいい)をガッチリと持っている人のようです。自分の損得勘定では動きません。ただただ、死に値する悪に裁きを下す


だが、そんなチャンの裁きによって死に値した暴力レイプクズ野郎にも家族がいる。そこで登場するのが来ました

母親のクリスタル


この女はとんでもない。登場した瞬間から高慢ちきで、なんせ自分の息子のムスコまでも自分のモノにしてしまう、世界を自分中心に回しウーマン。そんな奴ですから弟のジュリアンが「いや、でも兄ちゃんは変態レイプ野郎だったからさ.....」と説得しても「お兄ちゃんにはなんか事情があったの!アンタはあの刀持った猪瀬直樹の首をいいからここに持ってきなさあぁぁぁああいいい!!!」とぶっちぎれ状態。


かくして復讐の火蓋は切って落とされた・・・・・


その間に挟まれる男ジュリアン


彼はウルトラスーパーマザーコンプレックス男です。て言うか、クリスタルに完全に支配されていて手の平で転がされてるも同然。こいつの人生すべてクリスタルに左右されまくりでね。しかも、厄介なのが明言はされませんが恐らくクリスタルと近親相姦的な関係にあったらしく、そのトラウマからなのか、どうやら性的不能を抱えてるらしいと。

でも、例えば兄を殺した親父を許してやったりする面から分かるように、母に支配されてはいても、彼には彼なりのどうしても譲れない価値観であり倫理観がどうやらあるらしいじゃないですか。その価値観はどちらかと言うとチャンの価値観に近いというか。だから、彼は自分を支配しているクリスタルと脅威でありつつ、でももしかしたら自分の信じるものと近いものを感じているチャンとの狭間で揺れ動きまくる訳です。

序盤のジュリアンが現実では会ったこともないチャンと幻想だか夢だかで出会う場面があります。その時は自ら廊下の奥の闇へと向かっていきそこに手を伸ばすと自分の腕が切断される。これは最終的にジュリアンが迎える結末な訳ですが、ここで彼はある意味これから、血で血を洗う暴力によって自分が迎える未来を見たのです。


そして、もうひとつ。兄が殺されたことを知ったあとに、水道の色が赤く染まったことから、また同じような幻想の気配(?っていうかどうにも表現が難しいのだけど)に気付き、また廊下の奥の闇へと向かうと、不安げな表情になり足を止めてしまう。カメラもぐーっと引いていく。そして、部屋に戻るといたのはチャンではなくクリスタル、というこの場面と、先程述べたチャンとの遭遇場面は明らかに対比して描かれていてチャンには惹かれて、クリスタルには恐れを感じているということを早い段階からジュリアンが潜在的に感じているのではないのでしょうか。

そんな、惹かれつつもやはり脅威であり愛する母の憎き敵なチャンにジュリアンは果敢にも戦いを挑みます。お母さんの前で良いとこ見せるんだってことでしょうか。

がんばっちゃうぞ



結果は惨敗。己の拳はチャンにかすりもせず、ジュリアンの顔面はボッコボッコに。

その一部始終を目の当たりにしたクリスタルはジュリアンに、いままで、兄をえこひいきしジュリアンを蔑ろにしていたことを告白し「明日からはいい母親になるから私を守って頑張って!猪瀬直樹を倒してちょうだい!!」なんて言います。きっと、「いい母親になるから」なんて嘘っぱちだと思います。こいつは人を支配することが目的の人間ですから、とりあえずジュリアンにチャンを処理してもらいたかったのでしょう。

そうして、張り切っちゃったジュリアンはチャンが留守の間に自宅に忍び込み、ついに関係ない見張りの警官を殺してしまう、という自分の倫理観に反した罪を犯してしまうのです。とうとうやっちまったな。

チャンへの不意討ちを企むジュリアン。しかし、娘と家政婦が先に帰ってきてしまいました。一緒にいた仲間は家政婦を殺し、次に娘も殺そうとします。が、ジュリアンは仲間を殺し、チャンの娘を助けたのです。やはり、彼には彼なりの譲れない倫理観がいまもあったようです。



そんなこととはつゆ知らず「猪瀬め、ざまあwwww」なんて余裕ぶっこいて世界を自分中心に回そうとしたところに、残念ながらチャンがクリスタルのもとにやってきました。自宅を留守にしたのは5000万借りにいった訳ではなく、クリスタルに罪を償わされるためだったのです。クリスタルは首にグサッと一発やられました。

クリスタルの死体と対峙したジュリアンはクリスタルの腹に穴を開け、おもむろに手を入れる。手を入れる場所がちょうど下腹部辺りなので、ジュリアンは懐かしき母の子宮の暖かさを最後に感じたかったのではないのでしょうか。それは母との完全なる決別宣言ともとれるような気がします。

究極のマザコン野郎を卒業したジュリアンは、ついにチャンからの裁きを受ける覚悟ができました。彼は自分なりの正しい選択をしたのです。覚悟を決めたジュリアンは、以前に見た幻想の光景同様に両腕を切断.........スパッ

チャンチャンチャンチャンチャンチャン.......



このラスト。色々な解釈が出来ますが、この裁きを受ける場所が、それまでの暴力的な赤と冷たい青のネオンに包まれた煉獄のような場所とはうって変わって、広々とした森の中であるということ。それは暴力と欲望に支配された世界から、ジュリアンがようやく開放されたということを意味しているのはないかと。それまでは暴力の象徴であった拳が、手のひらの状態で切断されたというのもそういうことかと。

だから、これからジュリアンにはクリスタルからの支配も暴力からもほど遠い新たな人生が待っているのではと思うんです。両腕は切断されたけど、生死に関しては明言されてませんでしたし。何れにせよ最後の選択が"ジュリアンの意思"によって行われたことは確かでして。だから、「少年がついに大人の男になれるときがきた!」ってアレ。マザコン卒業よかったよかったってさ。いい結末じゃないですか。




たぶん『オンリーゴッド』はそんな映画なのかと自分なりに思います。他にも、色々な解釈が可能ですけどね。例えば、

ジュリアンがクリスタルの腹に手を突っ込むのは、死姦的な意味合いもあるのかしら?

チャンに妻がいないのは、ひょっとしてあの娘は養子?それか母親はすでにこの世にいない?それが彼の強固な倫理観に関係してんの?


とかね。分かんないですけど、まあこうして色々なところにまで考えを及ばせる時点で、なかなかスゲェ映画だと思うのですよ。90分弱の上映時間にも関わらず、全然短く感じさせないほどの濃密さも込みで、『オンリーゴッド』はさっそく今年最大の問題作であり異色作であることは確か。しかし、好き嫌いは分かれてもこういった「観客にも観る覚悟を求めさせる」姿勢であり態度の映画も絶対的に大事だし、価値があると思うのです。


では、また今度。

ちょっと面白そう
Posted on 2014/02/02 Sun. 23:12 [edit]  /  TB: 0  /  CM: 3

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